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己(おの)が名をほのかに呼びて涙せし

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 自分のこどもたちにくらべれば、友人や知人のこどもとは会う頻度が少ない。それだけに数年ぶりに出会ったトモヨちゃんの成長には驚いてしまった。父・ドクター村山氏の笑顔に皺(しわ)が刻まれるのも当たり前で、自然な時の流れだ。もちろん自分の老いも意識せざるを得ない。
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 小学校のPTA役員をしていた頃、ある席で一人の女性教師があいさつをした。その中で彼女は<あごがため>という言葉に触れた。
「この地では協力して物事を始めるときに、飲食を共にして気持ちをひとつにします。これを<あごがため>といいます。飲食をすることから<顎(あご)固め>と思われる人も多いかと思いますが、実はこれ<網子(あご)>のことです。網引きの共同作業に従事する者、または漁師をいいます・・・・」
 <この地>に移り住んでから、折々に耳にしてきた<あごがため>の意味を、そのとき初めて教えられた。
 現役時代には村上市役所で<財政の神様>ともいわれた八頭後さん(左)と共に顔を見せた本間さん(右)は初来店。話しているうちに、あの時にあいさつで<あごがため>に触れた教師は本間さんの妻だと判明し、さらに語源となった<網子固め>を教えたのも本間さんだったと知れた。
 本間さんと八頭後さんは古文書解読の仲間だ。村上の古文書に<網子固め>という語句が記載されているという。この地村上には三面川(みおもてがわ)に遡上する鮭を獲る<居繰(いぐ)り網漁>という伝統漁法がある。手元の「村上行事所日記」「江見啓斎翁日誌」をめくってみた。<網子>の語句は何ヶ所か見出したものの、<網子固め>はいまだに見つけ出せないでいる。       
 無事に共同作業が終了したときには、たがいの労をねぎらってやはり飲食をする。当地ではこれを<あごわかれ>という。似たような意味で<はんばぎぬぎ>といった言葉もあるが、またの機会に取り上げる。
 本間さんは犯罪者の改善更生にあたる保護司をしていて、社会復帰を目指す人の雇用を引き受けてくれる協力会社や協力雇用主を切実に求めている。雇用を引き受けてくれる多くは、自らも協力事業所で更生し、独立した人だという。
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 ちょうど1年前、2階席で女子会をした調剤薬局で働く人たちが、今回は男子を交えての飲み会(食事会)。ちなみに下の画像は昨年2階席での模様だ。(2014年4月のブログ「鶯啼かせたこともある」に掲載)
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 1年の時の流れは、みなさんの表情からはうかがえないが、今回は少し料理が足りなかったかな。そこで、画像を多く載せた。是非またどうぞ。
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 ホテルの<釜爺>勤務が丸2年を過ぎた。左は外国航路で料理人を勤め上げ、その後は釣り船の船長をしながらの釜爺勤務が15年にもなる主任の佐久間さんだ。右隣は息子さんとその友人。
 時に私が「親分!」と呼ぶ佐久間さんは、まさに親分肌。女性2人、男性3人の私たちグループをまとめ、和気藹々(わきあいあい)とした人間関係の中心にいる。ホテル7階の一角にある私たちの休憩室はいつも笑い声が絶えない。この4月から5人で積立貯金を始めた。「だれかの香典になるかも」と笑っている。
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 ドクター村山夫妻&大滝夫妻。村山夫人ユウコさんは料理上手で知られる。<食>に関係する地域起こしなどを大滝夫妻たちと手がけている。クリエイティブな仲間たちだ。
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「村上9条の会」の役員で今年の活動について話した。戦後70年にして<次なる戦前>の空気を察知するかのようにに、80歳を超えた人々の平和への発言が相次いでいる。
 新潟市の佐藤光堂さん(80)は護憲などをテーマにした書を展示している。「九条は日本と世界の宝物/変えるな壊すなゆがめるな」「軍事では紛争は解決しない/信頼を基礎に平和を築くことだ」「不戦を誓った原点を忘れるな/九条を守れ」などの書が並ぶ。(『新潟日報』5/9版)
「村上9条の会」では、俳優宝田明さん(80)の講演を計画している。宝田明さんは終戦後、旧満州ハルビンから引き揚げ、村上市に住んでいたことがある。近年は戦争や平和についての発言が多く、著書もある。日程の調整がつけば実現しそうな段階にまできた。
 今月末には新潟県民会館に小澤隆一氏(東京慈恵会医科大学教授)を招いて「立憲主義と憲法9条を守る新潟県民の集い」が開かれる。
 ところで、<女性が付き合いたくない男性の職業のランク>というのをネットで目にした。それによると、1位が飲食関係で、これは代表を務める私だ。2位は医師と美容関係が同率で、<会>の副代表瀬賀氏は開業医。4位には教師がランクされ、これには元高校教師で<事務局長>のコウドウ氏が該当する。5位は事業家ということだが、建築設計事務所を営む事務局員のマサヒコ氏はこれに当たるだろう。「う~むっ」というところか。
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<釜爺>勤務をしているホテルは「健康型老人ホーム」を併設していたが、このほど業務変更によって閉所することになった。4年間も入所していた93歳になる医師の富樫さんも、近々の転出に備えて身辺整理を始めている。
 そうしたなかで数冊の本を貰い受けた。その中に歌人石川啄木についての著書が数冊があった。著者は私立岩手医学専門学校(現・私立岩手医科大学)で富樫さんと共に学んだ同窓生井上信興氏である。
 井上氏は1921年、広島市に生まれた。戦前、啄木ゆかりの地である函館に居住し、また盛岡で学生生活を送ったことから啄木に関心を持つようになり、医業のかたわら啄木研究を始めた。小論を新聞雑誌などに発表し、著書も数冊に及ぶ。
その中の一冊『啄木断章』(渓水社/平成8)に「大根の花白きゆふぐれ―解釈上の一つの仮説―」という章がある。
 宗次郎に/おかねが泣きて口説き居り/大根の花白きゆふぐれ
 この歌の解釈をめぐる一章だが、「口説く」が重要なキーワードになっている。
「私がこの歌を最初に読んだとき、すでに暮色も迫り、白い大根の花がくっきりと夕日に浮かぶ田園風景の中で、村の少女と若者が恋のもつれか、少女は泣きながら若者になにか訴えている、といった情景をごく自然に連想したのである。(中略)大根の花が田舎の素朴さを出し、花の白さが清潔感をただよわせて、若い二人の恋の背景として下の句は絶妙の効果をあげている」(『啄木断章』)
 一読して、失礼ながら違和感を覚えた。おかねは泣いて口説いている。すなわち泣きながらくどくどと嘆きの言葉を繰り返しているのだ。しつこく愚痴を言っているのである。もちろん<口説く>には男女の間で、自分の意に従わせようとして、しきりに説得や懇願をする、あるいは求愛をするという意味もある。(『日本国語大辞典』小学館)だが、この歌から私は「若い男女の恋のもつれ」を想起しない。
 やがて、井上氏は次の記述に出合う。
「この口説くという言葉は東北地方の方言。(中略)普通口説くといえば男が女をかきくどく意味に解されるけれどこの場合はそうではない。宗次郎は呑兵衛で家計の苦しいことも気にとめず、いささかの金が手に入ればグデングデンンに酔っ払って帰ってくる。すると女房のおかねはたまりかねて外聞もなく大声でわめきたてたそうだ」(『啄木の歌とそのモデル』宮本吉次著/昭和16年)
 そうだろうと私は思う。だが、仮にモデルの存在を知らなくても、「泣いて口説き居り」から「若い男女の恋のもつれ」を読み取ることはできない。
 井上氏はそれでも、「(研究者は)方言やモデルの人物像の知識によって解釈し、一般の読者は、歌そのもののもつイメージによって解釈しているわけである」(『啄木断章』)と、「若い男女の恋のもつれ」という解釈から離れない。それはそれでいいと思う。人それぞれの捉え方があっていいのだが、井上氏は、下の句「大根の花白きゆふぐれ」という背景の「美しさ」に<予定調和的>に引きずられてもいるようだ。
「(この下の句は)なんと言っても美しい、清純にして素朴な美しさをもっていることはだれの目にも明らかであろう。啄木はこの美しい背景に夫婦喧嘩の二人を配するよりも、若い恋人たちをセットしたほうがふさわしいと考えたのではないか」(『同』)
 私の解釈はまったく逆だ。「(大根の花が)清純にして素朴で美しい」かどうかはともかく、馬車引きだった宗次郎(そうじろ)とその女房おかね。「大根の花白きゆふぐれ」だから、その貧しい夫婦のいさかいが<やりきれない>のだ。下世話な生活上の愚痴や嘆き。それとはかかわりなく、夕暮れに白い大根の花が浮かび上がる。それだからこそ、貧しい人々の営みの<悲しさ>が伝わってくるのだ。「美しい背景」だから「若い恋人たちがふさわしい」と、そのような稚拙な表現を啄木がするとは思えない。広島生まれの井上氏は「口説く」を<求愛>とする言葉の意味にとらわれすぎている。
 貰い受けた書物に混じって富樫さんの筆になるメモがあった。「平成25年逝く、祈御冥福 合掌 啄木の著書多数 医師より文人 岩手同級 最友人 双生児の兄は戦病死」
 井上信興氏は91歳で旅立った。共に岩手医専で学んだ双子の兄は20代で戦病死。啄木は26歳で没している。夭折の歌人啄木と夭逝した兄は、井上氏の中でオーバーラップしたこともあったに違いない。夕暮れに浮かび上がる白い大根の花を背景に、「若い恋人たちをセット」したかったのは井上氏本人だろう。もし、兄が生きていれば・・・。これは私の<読み違い>かも知れないが。
 井上氏は自宅の庭に啄木の歌碑を建てている。
 あめつちに/わが悲しみと月光と/あまねき秋の夜となれりけり
 建立は平成7年2月20日とある。2月20日は啄木の誕生日である。
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 西神納小学校の同級会一行の二次会だ。この時期に同窓会ということは、みなさん地元在住者なのだろうか。
 啄木の「泣いて口説き居り」が頭から離れなくて聞いてみた。
「口説くと聞いたらどっち?」「愚痴ることだな。そんなに口説くなって言う」「口説かれたっていうと?」「男と女の・・・なあ」
 微妙だが、両方あるようだ。<泣いて口説く>を聞いてみればよかった。
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 こちらは岩船中学校同窓会の準備会。夏の同窓会を今から準備する。耳に入ってくる話のあれこれに、地元の幹事団は大変だなと思った。私の高校の同窓会、今年は姫路が会場である。もう準備に動き出しているのだろうか。
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(上)新発田(新潟市?)からやってきたマサミさん(左)とタラちゃんことメグミさん。いっしょに夏の海でバーベキューを楽しんだこともあった。そのころはマイクが健在だった。タラちゃんは数日後、高校の同窓生と「さかなまつり」にも参加した。楽しんでくれただろうか。
(下)ちょっと久しぶりのミカさんは職場を変えたとのこと。
 この夜のマヤさんはオソロシイ飲み物をつくった。自分のキープボトルのバーボン<ワイルドターキー>とロンドンジン<タンカレー>のカクテルだ。恐る恐る口をつけたが意外にもまろやかだ。これにアブサンを足せば<アースクエーク(地震)>というカクテルになる。
<タンカレー>はマイクが愛飲していた。「ミケ」と書かれたボトルタグは今も健在だ。ミケは<MIKE(マイク)>のローマ字読み。マヤさんから<ターキー&タンカレー>のカクテルネームを聞いたが忘れてしまった。<T&T>でもいいし、Mayaの酒とMikeの酒で<M&M>でもいいか。うん、<M&M>がいい。酒場にはちょっと遠まわしなストーリーが似合う。
「もう何年になりますか。Mikeっていう男がいましてね。残念ながら癌で死んじゃいましたが、この<タンカレー>をよく飲んでました。いい奴でね・・・。Mikeを何度か温泉に連れ出した女性がいました。Mayaっていうんですが。結ばれなかった二人が、このグラスの中で・・・。」
 そういえばミカさんも<タンカレー>をキープしていた。<Mike(ミケ)&Mika(ミカ)>って。あっMurata兄もいた、Morimotoもいた。私は?おおっMaster。なんとみんなMつながりだ。ん、ヒデちゃん?Hide、Nakamura、Mはないか。ざんねん!

今回で20回目を迎えた「魚まつり」。第1回目から参加し続けている仲間も多い。今年はさらに初参加者も増えた。地元の漁師さんともすっかり顔なじみだ。この「魚まつり」でしか会わない仲間もいる。会う度に一つ歳を重ねている。1回目からの常連、ドクター村山も<じじい>になった。今回のブログは、なぜか彼の登場が多い。
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 魚まつりで購入した魚だ。これだけで1500円。チカメキントキ、タカノハダイ、メバル・・・。煮たり焼いたりして、すべて私の腹におさまった。
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 美容師の修行をしていた7歳上の姉が、あるとき啄木の歌集を持ち帰った。姉はいたく感動した様子で啄木を語った。そのとき私は初めて啄木を知った。中学生だった。
 己(おの)が名をほのかに呼びて/涙せし/十四の春にかへる術(すべ)なし
 <大根の花白きゆふぐれ>と同じ、『一握の砂』の第二章「煙」にある。啄木の故郷を思う歌が集められてある。

by yoyotei | 2015-05-12 08:53  

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