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イモトアヤコ眉

世間には珍しい名前はたくさんあるようですね。ずいぶん前にもらった名刺に「月出」という苗字が記されていました。飲み屋だからといって「つきだし」ではありません。「ひたち」と読むのだそうです。月の満ち欠けによって日にちの経過を数えた陰暦時代の命名なのでしょうか。たしか伊豆地方の方だったと記憶しています。


当地の隣村に「中束(なかまるけ)」という地名があります。由来はわかりませんが、その地には同じ字を書いて「中束(なかつか)」という苗字が何軒かあるようです。近辺では「束(たばねる)」ことを「まるける」といいます。「中束の中束」さんは、「なかまるけのなかつか」さんということになります。

しんちゃん 土曜日はありがとう。ひさしぶりに忙しい夜でしたね。
ブログの背景(スキンというそうですね)は、よしまさ君が変えてくれました。とても気に入っています。
ご期待に沿うよう、格調高いブログを目指します(笑)おたがいに高級志向の爽やか路線でいきましょう(大笑)

先々週でしたか、お客さんからの予約を忘れていました。その予約は「トムヤムクン(タイ風海老入りスープ)」を用意してほしい」というものでした。同日、別の予約もあったせいか、すっかり忘れていました。
4人で来店されてから、「え?そんな予約いただいてましたか」「もうマスター。電話したのに」という会話がありました。気心の知れた方たちでしたのでかんべんしてもらいましたが、その方はどうしても「トムヤムクン」が食べたかったのだそうです。
その方(女性)は、なんとあの「イモトアヤコの眉」をしていました。最近はパーティグッズであるんでしょうかね。
その眉(一次会の余興だったのでしょう)のままでクシーに乗って来て、僕の店でも最後までその眉でした。
特にひょうきんな感じの方ではないだけに、ことさらにこっけいでした。
予約はカレンダーの欄外に、まるでイモト眉のように、太く黒々と書いてありました。
予約を受けたとき、僕が相当に酔っていたのでした。それと見なければ「トムヤムクン」と」は読めない文字でした。
なかなか格式のある高級な店とはなりません。

# by yoyotei | 2009-12-07 22:11 | あれこれ  

杏さん

ある会社の窓口で、「杏」さんという方が応対してくれました。名札にはふりがなが付けられていましたが、なんと読むのかは最後に明かします。あまりにも珍しい姓なので思わず話しかけました。長野県の出身だそうですが、近くに同姓はないということでした。

帰宅して『難読姓氏辞典』に当たってみました。「杏」の姓はありましたが、「キョウ」と読むのだそうです。でも窓口の方は「キョウ」ではありません。

「杏」の字には長い間、ちょっとしたわだかまりがありました。
中国料理でrデザートに出される「杏仁豆腐」。スーパーの冷菓のコーナーに、それを見つけたとき、僕は自然に「キョウニン豆腐」だと思っていました。ところが、日常的に食べていたらしい娘たちは、「アンニン豆腐」と称していたのです。異議を唱えるほどではないものの気にはなっていたのです。

現在も健在かどうか知りませんが、江波杏子という女優がいました。彼女は「キョウコ」であって、「アンコ」ではありません。森鴎外にはたしか「杏奴(アンヌ)」という娘がいました。

『広辞苑』(昭和42年版)を引いてみました。
きょうにん[杏仁]杏子(あんず)の実の核中の肉。薬用にする。関連語として「杏仁水(きょうにんすい)」「杏仁油(きょうにんゆ)」があります。

つぎに「アンニン」です。
あんにん[杏仁](「杏(あん)は唐音)杏子(あんず)の実の核中の肉。薬用にする。きょうにん。

なんと、同じではありませんか。「アン」と読むのは唐音だったのです。簡便な「漢和辞典」によれば漢音では「コウ」、「キョウ」と読むのは呉音です。
さらに意味を探ると「あんず。からもも。イバラ科の果樹」とあります。
「からもも」、なるほど「唐桃」か。

そうです。「杏」さんは「からもも」さんだったのです。
なんとも珍しいお名前でした。

ところで、前回の店名の由来「夭夭亭」です。
詩経「桃夭」の「夭」は「若く美しいさま」という意味ですが、台湾の若い女性から「この字よくない」と言われたことがあります。たしかにこの字は「夭折」「夭逝」など、熟語からの変換でないと出てきません。どちらも「若死に」という意味です。
まあしかし、「夭」を音符とする字には「妖」「笑」「沃」などの字もあります。居酒屋にふさわしい「呑む」という字もあるのです。(もっとも本来「呑」の正字は「天」の下に口で、「夭」に口は誤字だそうです。今は「呑」が使われていますが)

いずれにしましても、「若くて美しい」のは僕ではありませんし、「妖しい」のも僕ではありません。
ましてや酒の「呑み」過ぎで、いまあの世に旅立ったとしても、62歳の僕を「夭逝」だとか「夭折」などという人はいないでしょう。
「笑って」送ってくれること、まちがいありません。

「からもも(唐桃)」さんと「桃夭」。桃つながりでした。

# by yoyotei | 2009-12-01 01:19 | あれこれ  

大滝友和さんのこと

昨日、著者ご本人から冊子が届けられました。
著者は大滝友和さん、書名は「忠敬測量物語」です。

大滝友和さんとの出会いはちょっと笑えます。
もう20数年前になるでしょうか。
僕が小学校のPTA役員をしていたときに、ある小学校で地域教育に関連した集会がありました。
意見を述べる役割を与えられた僕は、早めに会場へ行き、「発表者控室」と掲示された部屋に入りました。
発表者の応対をする係りが大滝友和先生でした。彼は僕の顔を見ると、怪訝な表情を浮かべました。
「ここは発表者の方の部屋ですよ」
「僕は発表者です」
「え?どちらの」
「村上南小学校の」
「南小学校の会長さんですか?大変失礼しました」と、こんな風なやり取りがあったのです。
もっとも彼に罪はありません。当時の(今もです)僕はヒゲ面でしたから、一度も面識のない彼が胡散臭く感じたのも無理はありません。

以来、僕の店にもちょいちょいと顔を見せていただくようになりました。夫人もPTAの役員を引き受けてもらいました。その当時、夫人は娘の愛子ちゃんを、会議のたびに連れてきておられました。その愛子ちゃんも先年結婚されました。

大滝友和さんは、小学校の歴史授業に、郷土の歴史を生かすことに取り組んでこられました。彼が、その都度、冊子としてまとめた書名を一覧すれば、その積極的な取り組みはあきらかです。
「わが故郷の松尾芭蕉/中村ニ宿ス考」「わが故郷の松尾芭蕉/村上二泊考」「粟島見聞録」「続粟島見聞録」「米沢街道紀行」「関谷学園資料編」「義経伝説」
そしてこの度の「忠敬測量物語」です。
僕のような門外漢にもかかわらず、刊行のたびに届けていただきました。

冊子に添えられていた「あいさつ」の末尾に以下のように記されてありました。
「去る、10月5日、父が82歳の命を閉じました。人に対する謙虚さと芯に秘めた強さを教えてくれた父でした。私の冊子作りには最大の理解者だったのです。謹んで、本冊子を亡き父にささげます」

大滝友和さんは、来年3月定年退職されます。

# by yoyotei | 2009-11-23 21:38  

夭夭亭

35年前の今日(勤労感謝の日)、僕の店が開店しました。
開店準備に追われて、電話を引くのが間に合わず、新聞の折込チラシに「電話まだありません」と入れました。それが印象的だったと来店された人もありました。
間に合わなかったのは電話だけではありませんでした。実は店名も間に合わなかったのです。そこで命名したのが「有人島(ゆうじんとう)」です。東京在住の知人に案内されたことのある、赤羽の小さな店の名前を無断で拝借したのです。すべての内装を店主が自分でやったというところが、僕は気に入ったのです。

数年後に店名を「夭夭亭(ようようてい)」としました。保健所に届けをしたときに担当者から、店も経営者も同じなのに店名だけを変えるというのは前代未聞だといわれました。

さて、「夭夭亭」です。
中国最古の詩歌集「詩経」のなかに「桃夭」という詩があります。

「桃の夭夭たる 灼灼たるその華 この子ゆき帰(とつ)がば その室家に宜(よ)ろしからん」
(わかわかしい桃の木。つやつやしたその花。〔そのように美しい〕この娘はお嫁に行ったら、うまく家庭に調和しよう)(『中国詩人選集 詩経国風(上)』 注者/吉川幸次郎 岩波書店)

詩はまだ続きますが、この詩の「夭夭」から採られています。命名者は僕ではなく、八木三男という方です。
八木三男先生は京都大学文学部を卒業された後、当地の高校で教鞭を執られました。その後早期退職をされて東京大学教育学部の研究生となり、「にいがた教育研究所」を設立されました。
島根県生まれの僕が、当地に来て大いなる薫陶を受けた方です。

八木三男先生は昨年1月に永眠されました。享年75歳でした。無宗教者で、墓もつくらない彼の遺骨は、友人や知人、家族によって世界中に散骨されています。
昨年、僕も先生の遺骨を、インドのガンジス川に流してきました。朝ぼらけの中、船で川の中央部まで行き、現地で売られていた花とともに、遺骨を川に流している間、老いた船頭は船を漕ぐ手を止めて静かに見守っていてくれました。

今年1月、僕の店で先生の一周忌がありました。朝から降り続いた雪は除雪車が2度も出動するほどでした。雪の中でも、黄色の花を咲かせる蝋梅。夫人が庭から手折ってこられたその花の香りが店を満たしました。
先生の命日は「蝋梅忌」と命名されました。

# by yoyotei | 2009-11-23 20:32  

Please come again

ユウヤさん
土曜日の夜はこちらこそありがとうざいました。楽しかったのは、僕の方でした。次回はダイレクトに来てください。ゆっくり、じっくり盛り上がりましょう。
ユウヤさんとバックパッカーの話をできたのがなによりでした。
以前は、ALTの人たちも大勢来店してくれていましたが、最近はそれほどでもなくなってさびしい思いをしていました。久々の若い外国人たちと接して、僕のコスモポリタンの血が騒ぎました。

今のところ、ブログに写真を掲載する方法がわかりませんが(基本的にアナログ人間で、ブログ開設1ヶ月の初心者です)、いずれここに掲載するかも知れません。いいでしょうか?メーガンと仲良くね。

ユウタロー君、受験頑張ってね。目的意識が明確で、頼もしく感じました。

ブライアンは、日本風にいえば「草食系」という感じ。しっかりとマリアについて行きなさい(Just kidding)。
ジェニファー!ジャマイカの人だと思ってしまいました。ごめんなさい。前にジャマイカ出身のALTの歓迎会とお別れ会が僕の店でありました。ジャマイカのラムを用意したり、ジャマイカ風のカクテルを準備していたら、彼女はまったく酒を飲まない人でした。でも、ジェニファーは飲める人だし、また今度ね。

ひでさんも呼ぶからね。

Please come again.

# by yoyotei | 2009-11-22 21:48